信念と頑なさ ✾良い事?悪い事?✾


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信念を持つのはとても素晴らしい事

自分が進むべき道を明確に示しますし

高地の桜のように

目的地の目印ともなります

 

しかし信念というのは

裏を返せば頑なさに繋がります

柔軟性のなさが人を遠ざけたり

周りに対して批判的になったり

寄るな 触るなと他人との境界を作り

孤立する事もあるでしょう

 

 

だから

何だと言うのでしょう

 

 

信念を貫くのが良し

 

頑なさを貫くのが良し

 

 

どちらともあり得る場面

 

 

対にして表現すると

対にしてかんじると

どちらかを「良し」とし

どちらかを「悪い」と

無意識にレッテルを張ってしまうのは

自然な事なのでしょうか

 

お恥ずかしながら

私はたまにあるのです

意識する前にかんじている事が

 

そのレッテル張りでさえも

1つの頑なさの表れです

 

 

だから…

 

 

何だと言うのでしょう(2回目)

 

 

 

こういうのって

掘り下げれば掘り下げるほどに

だから何?

に行き着くようにかんじます

 

信念を信念として貫く方が良い時

柔軟性を持って太くしていくのが良い時

頑なさで周りと一線敷いた方が良い時

内に内に意識を向けた方が良い時

 

色々その良さはありますから

 

 

出来事は

ただ出来事であって

考え方は

ただ考え方であって

それらへの意味付けは

それを観た(観測した)人が

自分のしたいようにするものですから

何だって良いんですよね

 

ならば

 

何故

 

良し悪しをかんじてしまうのか

 

 

それは

自分が何を大切にしたいか

自分に合うもの合わないものは何か

受け取れるもの受け取れないものは何か

自分の頑なさは何か

心を閉ざした部分は何か

などを示すサインで

 

心を閉ざした部分からのサインでもあります

 

氣付いたソレを受け取るための

今必要なメッセージでもあります

 

 

信念を持つことも

頑なである事も

どちらもポジティブな意図があるはずです

 

ポジティブがあればネガティブがある

これは自然の理

 

その裏にあるネガティブな意図に氣付いて

受け容れる愛する事を意識するのも

大切な自己愛だとかんじます

 

 

言葉 言の葉 ✾言靈✾

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波動の高い言葉に関係して

先日 記事を書きましたが

その中でも

「言葉」

にフォーカスしてみようと思います

 

 

波動が低くなっている時

光から程遠くなってしまっている時は

言葉遣いが非常に悪くなります

言葉遣いの悪さだけではなく

 

早口になったり

人の話を聴けなくなったり

途中で遮って自分の話ばかりしたり

対抗したり

わかった風にひけらかしたくなったり

言われた事を受け容れられなかったりと

攻撃的な空氣が溢れ出してきます

 

そうなった時の顔

全ての筋肉の感覚は

常に強張っていて

近寄りがたいオーラを放ちます

 

 

 

若かりし日の私はお喋りで

それでいて低い波動の中にあったために

使う言葉も美しくなく

文句や愚痴を吐くことが非常に多く

また口が立つ事もあって

数多くの汚い言葉を吐いておりました

 

友人とお茶をすると言うと

お互いに抱える不満を語り合う愚痴大会が当たり前

夢中で吐き出し合うものだから

あっという間に時が過ぎて

時間が足りないね〜またお茶しようね〜

なんていって

定期的に大会を繰り広げておりました

 

今でも覚えています

 

その時に自分がどんな表情で話していたか

どんな空氣を撒き散らしていたか

 

してやったり

私の方がわかってる

愚かな人達

バカじゃないの

 

そんな風に

誰かを下に見るマインドが

フルパワーで炸裂していたのが

身体の感覚として記憶されてしまっています

 

まだ

現在の私の中にも

波動の低い要素として在るんですね

 

毒づくという言葉がありますが

正に毒が残っているんです

 

なので

 

波動が下がりつつある時

その感覚が蘇るのです

 

あ…

あの時と同じだ…と

 

だけど

急降下している時は止められないんです

これには驚きます

止められないんです

 

止められないから

強制的に止めるためのストッパーがかかります

 

それが

 

誰かとの衝突だったり

大きな失敗だったり

事が上手く運ばなくなったり

停滞を感じたり

問題ばかり起こったり

不利になったり

 

今の状況と向き合わなければならない

苦しい局面に立たされます

 

もう懲り懲り

と思える程に頑張って乗り越えられれば良いですが

途中挫けて投げ出してしまうと

また更に辛い試練が立ちはだかる事になります

 

 

そうならない為に

 

自分の状況を

常に観ておかなくてはならないのです

 

言葉は

とてもわかりやすい指標になります

 

早口になってない?

声が大きくなってない?

汚い言葉を使ってない?

人の話を聴けてる?

 

言葉は言の葉

広がりゆくもの

命が宿った言靈

自分の宣言です

 

自分自身に心を寄せて

よく観るんだよ

よくよく観るんだよ

 

 

 

 

 

過去の再演


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この道を…

と思って選んだ結果が

描いていたものと違ったら

少し立ち止まって

少し遡ってやり直す事はままあるけれど

 

その流れの中で

以前かんじたような楽しさや

喜びを思い出すシーンに出くわすと

やっぱりそうだよね

と安心したりします

 

確かに

忘れていた楽しさや喜びがあり

こういう氣持ちである事の大切さを再認識出来るので

それはとても良い流れなのだけれど

 

忘れていたのは

その楽しさや喜びだけではなくて

その奥に潜んでいた自分の本心や

魂の声も同じだったりします

 

それは

環境やメンバーは違えど

同じようなシチュエーションで示される事が多いです

 

何故

同じようなシチュエーションなのかは

思い出しやすいようにとの

優しい采配かもしれません

 

ですが

 

氣付くべき事に氣付く事なく

やっぱりこうだったんだ

と惰性で流れようとする氣持ちから

同じ轍を踏むかどうかの

厳しいトラップかもしれません

 

そうなると過去の再演

これからも何度も繰り返す事になります

 

抜け出すタイミングは用意されていて

あぁまた同じ事をやってる

と答え合わせする機会もやって来ますので

その時に軌道修正すれば良いですが

その為には

自分自身をしっかりと観て

かんじておかなければなりません

 

俯瞰して

接近して

ぼんやりと

ハッキリと

 

様々な角度から観てかんじる

 

いい加減にしなさい

 

というリミットが来る前に

転換させたいところです

それを越えた先に

次のフェーズへの扉が用意されていますから

 

 

これもまた

エビデンスは私の経験です

あら恥ずかし

 

 

氣付きが深まると静かになる

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もう1つのブログで

 

「波動の高い言葉」

 

という検索ワードで

毎日多くの方が

目を通してくださっている記事があります

 

波動が高いというのは

物理的には微細で高速で

とても繊細な振動の波

音としても

私達が感知出来る域を越えて

無音にかんじます

 

悟りに近い方

波動の高い方というのは

とても静かです

 

そして

 

私の経験からも

波動が低かったり

荒くなっている時というのは

とても騒がしく

うるさくなります

 

バカ笑いをしたり

兎に角ずっとお喋りで

ミーハーになり

賑やかな出来事に心惹かれやすくなります

 

あれがどうだ これがどうだと

ひけらかしたくなり

ギャーギャーと騒ぎたくなります

 

愚痴も言いたくなりますし

周りの状況にばかり目が行き

指摘したがります

 

それは

子供のような無邪氣さとはまた違うもので

わかりやすく言うなれば

品性が全く異なり

品の無い行いが目立つようになります

 

そこに

波動の高低をかんじる事が出来るんです

 

エビデンス

私自身の実体験です

 

 

なので

今 自分の品性がどうかと観察すると

自分の波動の状態がわかると

私自身はかんじます

 

自分自身の品性だけでなく

周りに集まる人達の品性でも

これから自分が傾倒し得る未来を

暗示させる何かを知る事が出来るでしょう

 

悟りや真実は静寂の中にあって

ただ静かに心地良く

私達を包むもの

 

うるさくなって来たのなら

少し俯瞰して

自分自身を観察すると良いと思います

 

 

 

 

 

 

自分と向き合い始めた20代 ❁ 恐れと氣付き


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20歳頃から

自分の内側に意識を向け始め

音楽活動 歌う事を本格的にやり始めた頃には

音楽を通して出逢った

素敵だと思う人と自分との違い

何が違うのか

どういう差があるのか

何故 人はあの人に惹き付けられるのか

など

人が放つものへの関心が高まっていきました

 

元々 人間観察が好きで

幼い頃から

大人が何を考えているのかを

察知するのに長けていたのもあり

色々な氣付きがありました

 

 

 

❁頭と心 言葉に矛盾がない

 

私が最初に観えたのは

人が惹かれる魅力のある方は

考えと胸の内

心と言葉に矛盾がないという事

 

あー

心の言葉を言ってるなぁー

だから絶対にブレないし

大きな声で話しても平氣なんだろうなー

周りに聞かれても

本心で語っているから

恥ずかしいとか思わないんだろうなー

凄いなー

 

それまでの私は

周りの要望を察知して

それに見合う言葉を選んで話す事が多く

自分の本心ではなかったり

矛盾があったりしていた事も自覚していたので

「あの人 変な事言ってる」と思われたくなくて

周りに聞かれる事に恐れをかんじていました

 

なので

堂々と自分の想いを語れる人が羨ましく

やや絶望と恥ずかしさを抱き

同時に

何でなんだろう?と不思議で仕方なかったのを

覚えています

 

色々想い巡らせ

考えたところで今はわかりませんから

とにかく

本心の言葉を語れる人になろう

そう決意して

口から出る言葉は全て

私が本当に思っている事だと

心に決めました

そして

思った事だけを言うように心掛けました

 

実行するのはめちゃめちゃ怖かったです

 

悪く思われたらどうしよう

嫌われたらどうしよう

 

そういう想いが根底にありましたから

自分の言葉に責任を持つのが

怖くて怖くて仕方なかったんです

 

だけど やる

 

完璧になど出来るはずありませんから

少しずつ

 

先ずは

相手に対して素敵だなと思った事を

勇氣を出して発してみる事にしました

 

怖かったけれど

不器用だったけれど

でも

繰り返し実践していくうちに

本心で語る事の方が楽だと

少しずつ少しずつ

知れるようになっていきました

 

 

ここから

自分の内側の不自然な歯車が

どんどんと炙り出されてきます

 

本来あるべき場所に収まっていなかった歯車が

どんどんと浮き彫りになり

入替えを余儀なくされました

 

その時の心は

グッチャグチャだったかもしれません

大掃除をすると

一時的に部屋が大散乱してしまうのと同じです

 

しんどかったですね

あぁ私はなんてダメなんだろう…

自分への肯定と否定が入り混じり

だけど変えたくて

必死な毎日でした

 

 

❁全てを認め受け止める

 

自分は変わると決めたら

良い事だけを受取ります!

という訳にはいかず

不都合な事も全部明るみになり

整理整頓をしなくてはならない状況になります

 

それら全てを受け止めなくてはならない

自分の全てを認めなくてはならない

 

そう理解したのは

まだずっと先の事でした…

 

 

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求める時と求められる時❀ 受取る事と与える事


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自分が求める時というのは

何かを受取りたい時で

 

自分が求められる時というのは

何かを与える時

 

 

あれが欲しい

これが食べたい

あれがやりたい

あの人に逢いたい

 

そんな時は必ず

何かを受け取っていたと思います✨

 

 

こうして欲しい

意見を聴かせて欲しい

どう見えるか教えて欲しい

あなたに逢いたい

 

そう求められた時は必ず

何かを与えていたと思います✨

 

 

人生に於いて

切り替わりのタイミングになった時

私は

何かを求める事が多かった

正確には

逢いたい!と強く思う人との出逢いが

多かったように思います

 

その度に色々と受け取って

階段を一つ一つ登って来たんです

 

 

勿論

今も尚 逢いたいと思うような方がいて

次のステップに必要なものを求めて

受取りたいという想いがありますが

 

そろそろ

 

私に逢いたいと思ってくださる方に

与えられるような

何かしらを手渡せるような

循環させていけるような

そんな歯車も動かしていきたいし

動かしていこう

 

そんな風にも思うのです

 

 

 

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幼い頃からの能力? 〜目を閉じれば見える世界〜


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靈的能力があるとかないとか

私には良くわかりません

私自身には

恐らく無いと思います

 

今のところ

オーラは見えませんし

過去世もわかりません

いわゆる靈と呼ばれるものも見えませんし

予知能力などももちろんありません

 

けれども

強いて言うならば

 

幼少の頃

物心ついた頃からずっと

目を閉じると見えるアートのようなものがありました

 

それは例えるなら

テレビの砂嵐のようなものだったり

幾何学模様みたいなものだったり

白黒 カラー

単色 複色 

様々なパターンで

 

静止したものではなく動きがあって

ウニョウニョと無限に

規則的だったり不規則的だったりと

変化してしていくものでした

 

 

目を閉じると必ず見えるもの

物心ついた頃から見えていたものだったので

誰もがそうなのだと思って過ごしておりました

 

 

ところが小学校3年生くらいの頃

近所のお友達の女の子と遊んでいる時に

 

「目を閉じたら見えるやつあるやん?

アレ面白いよなー!」

 

と話し掛けますと

 

「は?目を閉じても何も見えへんで(笑)」

 

と返されて「え?!」と驚き

誰もが見ている物ではないと知りました

 

そのお友達は

目を閉じると真っ暗

或いは

明るいところではピンク色の光っぽいかも?

皮膚の色なんじゃないかな?

と教えてくれました

 

 

その見えるものが何なのかがわからないので

何の能力とかもわからないし

今に活かされているのかどうかも

正直わかりません

 

ですが

無いものを観る

どこかと繋がる能力なのかなぁ?

なんて思ったりします

 

 

他にも

人がかんじている事を察する能力は

昔から長けていました

 

それ故に

周りを氣にし過ぎて

がんじがらめになっていた自覚があります

 

それに氣付いたのは

高校生の頃

当時お付き合いしていた方がやっていた方が

主催で開催した音楽ライブイベントの打ち上げの席

色々と立回らなければ!

と必要以上に氣負いしておりました

 

しかし沢山の出演者とお客様が参加しており

全てに目が届かない事を悟り

「全てを拾う事は出来ないんだ」

と「察する」事を緩和し始めたのを覚えています

 

振り返るとそれが

私の手放しの始まりだったのかしら?

 

 

 

見えないものを観ていた事

察する能力に長けていて事

 

これらはオラクルカードリーディングや

ヒーリングやセッションには

多少なりとも役立っているのかもしれない

と思います

 

深い部分の感覚的な面で

リンクしているような氣がします

 

 

皆様はいかがでしょうか?

 

中には

明らかに靈的な能力が昔からあった

という方もいらっしゃるでしょうね

 

これからその能力を

世の中の為に

共に活かして行きたいですね✨

 

 

 

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